もっと欲しい、その先は何ですか?
収入が増えてほしい、貯金にも余裕が欲しい。
でも、それでどんな毎日を過ごしたいのかと聞かれると、うまく言葉にできない。
そんな時、並木良和さんの豊かさの教えは、金額だけでなく、自分が何を望んでいるのかへ目を向ける入口になります。
2025年2月20日の公式メッセージで、並木さんは、お金を受け取ることへの抵抗や、自分が本当に何をしたいのかについて語っています。
そして、必要なものを必要なだけ望むようになる、という方向を示しています。
この記事では、その教えを、収入が必ず増える仕組みとしてではなく、豊かさへの自分の向き合い方として考えます。
現実の収入や暮らしには、仕事の条件や支出など様々な事情があります。
お金の不足を、本人の意識だけが原因だと決めることはしません。
金額の奥にある暮らしを見る
必要なものを必要なだけ、という表現を聞くと、望みを小さくしなければならないように感じる人もいるかもしれません。
けれども、自分にとって必要なものが何かを知ることと、欲しいものを遠慮して諦めることは違います。
例えば、今より広い部屋に住みたいのは、見栄を張りたいからとは限りません。
仕事をする場所と休む場所を分けたい、家族と落ち着いて過ごしたい、といった具体的な願いがある場合もあります。
金額から少し目を移して、どんな場面を望んでいるのかを見ると、その願いの輪郭がはっきりしてきます。
並木さんが語る、望みの焦点が合うという見方を、暮らしの言葉に近づけるなら、この違いは考える手がかりになります。
一方で、周囲が欲しがっているから自分も欲しいと思っていたものが、見つかることもあるでしょう。
自分の願いを知る途中で、望みが変わっても構いません。
少なく望む人が上で、多く望む人が下という比べ方を始めると、また他人の基準へ戻ってしまいます。
このメッセージで並木さんは、ただ豊かな自分だと言い聞かせることと、内側の抵抗に向き合うことも分けています。
その視点から見ると、欲しい金額を繰り返すだけで、自分が何を求めているかを見なくなるのは、少しもったいないですね。
例えば、余裕が欲しいと言う時、突然の出費に備えたいのか、働く時間を減らしたいのか、家族へ贈り物をしたいのかで、願いの中身は異なります。
言葉を具体的にすることは、望みを削るためではなく、自分にとって何が嬉しいかを知るためです。
その上で今の生活を確かめれば、必要な準備や、使いたいお金の優先順位も考えやすくなります。
受け取る時の気持ちを確かめる
並木さんは、お金を受け取ることへの抵抗にも言及しています。
この話を日常で考える一例として、仕事の対価を受け取る時の気持ちを見てみます。
相手が納得して依頼しているのに、料金を伝えるたびに申し訳なくなるとしたら、どの部分にためらいがあるのでしょうか。
まだ慣れていないから不安なのか、提供する内容を自分でも説明できていないのか、お金を受け取ること自体を悪いと感じているのか。
似たためらいでも、確かめたい内容は違います。
内容が曖昧なら、提供するものや条件を整理できます。
経験が足りないと思うなら、必要な練習や準備を考えられます。
その上でも受け取ることに強い引っかかりがあるなら、自分がどんなお金の見方を持っているかを見つめる余地があります。
この例は、特定の料金設定を勧めるものでも、並木さん直伝のワークでもありません。
公開された教えを、実際の暮らしの問いへ置き換えたものです。
抵抗を感じたら何もかも手放してよい、と考えるより、現実の準備と内側の思い込みを分けると、次にすることが見えてきます。
豊かさを考える時も同じで、安心して暮らすための費用と、誰かに追いつくために増やしたい金額では、意味が異なります。
どちらの気持ちがあるかを知るだけでも、自分が本当に欲しかったものに近づけます。
収入の数字を見るだけでは分からなかった、時間の使い方や暮らしの優先順位も見えてくるかもしれません。
例えば、欲しかったのは高価な物より、慌てず朝食を食べる時間だった、という場合もあります。
その願いなら、お金について考えることと同時に、今の予定の組み方を見直す入口もあります。
豊かさを1つの形だけに閉じ込めないことで、自分に合う望みを丁寧に確かめられます。
本日のまとめ
もっと欲しいと思う自分を責めずに、その先の暮らしを想像してみてください。
どんな時に安心したいのか、何を選べるようになりたいのかが分かると、望みも具体的になります。
並木さんの教えにある、必要なものへ焦点を合わせるという視点は、自分の豊かさを他人任せにしないための問いになります。
今日、欲しいものを1つ思い浮かべたら、それによって過ごしたい場面まで考えてみます。
金額の向こう側にある自分の願いを、置き去りにしないためです。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。