がんばらなきゃ、幸せになりませんよ。 がんばらなきゃ豊かになれませんよ。
僕たちはこうやって教えられてきた。 その理由は、目を覚まさせないため。 わかる?目を覚まさせないためだよ。
だって、そうでしょ?今だって、努力しなくていいよ。 一生懸命頑張らなくていいよって言うと、ちょっと引いちゃう自分てあったりするでしょ。
頑張らなきゃいけないんじゃないの?多少は一生懸命やらなきゃいけないんじゃないの?と思ったりするでしょ?
もう、そういうのがあなたの中に刷り込まれているから。
そうじゃなくていいよ!っていうことに対して、不安が出てくるようになってるんだよね。
そうなんだ、じゃあ、頑張らなくていいんだね♪って言って、リラックスして楽しいことに意識を向けたら、どんどん波動が上がって、あなたは目覚めていくでしょ。
それで、あなたが、そうやって自分で自分に許し始めたとき、「いいんだ、頑張らなくていいんだ、やりたくないことはやらなくていいんだ」って言っても、周りが言ってくる。
深いところのあなたの中にある「一抹の不安」をそうやって反映して、言ってくるからね。
母が言うんです、私はもう頑張らなくていいって自分で決めているのに。
「母が」じゃなくって、あなたはお母さんを通して、自分の中にあるものを正確に映し出して、お母さんに言わせてるいるだけです。
分かりやすく言うと、だから結局、お母さんは関係ないの、あなたなんです。
だから結局、これに気づいてしまったら、なーんだ、お母さんもお父さんも、パートナーも子供も上司も、何もかもが関係なかったのでっていうところに立ちます。
実際、関係ないんです。だって大変でしょ?いちいち焦点を当てて対処しないこと。
目を覚ましていくというのは、「対処する生き方」から抜けていくということです。
そうじゃなくって、あなたがやることは、そこに使っていた、つまりそれを移し出すことに使っていた周波数を捉えて、これを外すことに意識を向ける。それでいいんです。
そしたら、あなたのフィルムを変えたのに、映像がそこに留まり続けるわけがないでしょう。
映像は止まれないの。あなたがフィルの変えちゃったら、あなたがどうしても変わらないんです。
変わらないんですというのは、ずーっとフィルムを回し続けてるから、変わらないんです。
「私はこんなパワハラの会社を辞めてやる」って、訴えてみたところでね、また違うところに行けば、あなたこう使っていた周波数を外さなかったら、また同じパワハラを映し出すことになるの。
もう覚悟を決めて、手放しちゃうって言って、義務感、恐れ、周囲からの影響という、この受け方を、周波数として捉えて、外していくんです。